F+S Flash
(Vol.169)

============================= CONTENTS =============================
【コラム/『TPP問題を考えるために(その2)』】 <寄稿>
  TPP問題の捉え方を医療・健康保健の問題を例に考える  公江 義隆
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参院選挙中でもあり、相変わらず賛否両論、話題は尽きないTPPです。

6月3日にVol.167<増刊号>として「TPP問題を考える」として配信
させていただきましたが、あまりにもテーマの幅が広く、なかなか方針も
定まらないため、いつまで経っても素人には分かり難いですね。

そんな中、公江さんから文書を送っていただきました。

気になる問題ですので皆様の参考になろうかと考え、(その2)として配信
させていただきます。今回も通常の「F+S Flash」には収まりきらない長文
ですので<増刊号>とさせていただきました。

間違いのご指摘はもとより、御意見・考察や有益な追加情報等があれば
御連絡いただければと考えます。宜しくお願い申し上げます。

■=== 【コラム/『TPP問題を考えるために(その2)』】 <寄稿>

                        公江 義隆
               JUAS/ISC、もとITコーディネータ
                もと武田薬品工業(株)情報システム部長

 〜 TPP問題の捉え方を医療・健康保健の問題を例に考える 〜

TPPについて農業分野が大きく問題視される。しかし、農業問題はTPPに
関わらず、国内政策のウエイトの高い課題であり、課題解決には農地法の
抜本的改定や農協の改革問題、諸外国なみに補助金への税金投入など、
大きな政治的困難を伴うとして歴代政権が正面からの取り組みを避けてきた
問題である(今回の安倍政権の成長戦略も同様)。

一方、関税分野に比べ、非関税分野は問題構造が複雑で分り難い為かメディア
などに取り上げられることが少ないが、長期的には文化・価値観に関わる
こちらの影響の方が日本の社会への影響は大きいと思う。

今回は非関税分野の問題の例として、国民全てに関係がある医療・健康保健の
問題を考えてみる。

■問題の本質−1

5月、病気の治療が社会にもたらす効果の試算結果を、政府の有識者会議に、
何故か厚生労働省ではなく経済産業省が提出した(日経、5月13日)。

内容は「治療に要する費用に対し、"治癒した患者がその後に働いて得られる
所得"などの便益を比べた社会的効果と、治療による"症状回復や副作用"など
複数の指標で測った改善度」の試算をもとに、現状の治療法では「社会的効果、
患者の状態の改善度が共に大きいのは小児ガンやウツ病、高齢者のガンなどは
社会的効果・患者の状態の改善共に小さい。糖尿病などは社会的効果は大きい
が患者の改善度は小さく、逆に喘息などは患者の改善度は大きく社会的効果は
小さいとし、社会的にも患者にとっても効果の低い分野に膨大な医療費が
使われている。医療費の無駄を減らして浮いた財源で新たな治療方法を開発
すれば、医薬品産業の成長につながる」というものであった。
有識者の一部から「特定の疾患の患者の切捨て」との反発もあったという。

「費用対効果」という経済指標を医療の判断基準にすれば、例えば、
遺伝子やiPS細胞などの研究成果から、ようやく緒につき始めた難病の治療
などは、患者数が少ない故に効果が少ないと切り捨てられることになる。
余命年齢が少ない故に治癒させても所得に寄与しない高齢者や低所得者の
医療もまた切り捨て対象だ。

新しい分野の研究・開発の成果や結論は10年、20年、30年・・・にわたる
知見の蓄積の上に成立つものであり、結果予測は極めて困難なものだ。
長期にわたり多額の投資が必要になる医学分野の画期的な製品・治療法の
研究開発もまた、経済投資効果の見通しの困難が故に切り捨ての対象にされ、
これがやがて医学の進歩の滞りに繋がる。

<参考>:例えば、1つの新薬は1万種〜の新規物質のスクリーニング、
 10数年の研究開発期間、数100億〜千数100億円の研究開発投資を経て誕生する。
 新たな副作用が見つかり最終段階で脱落するケースも少なくない。
 一方バイアグラのように当初の狙い(心筋梗塞薬)と異なった効能が見つかり
 オオバケするケースも稀にある。

福島原発事故では、東電現場から自衛隊に至るまで、若い人を現場作業から
外して行なわれた。西欧世界には客船が沈没に瀕した場合、救命ボートには
子供や女性を優先的に乗船させるという暗黙のルールがある。
札束をちらつかせて先に乗ろうとする行為は不道徳、正義に反するとされてきた。
これらは、「生きておれば、その後いくら稼げるか」による発想からではない。
命の問題は経済基準で考える問題ではないのだ。

昨今話題になるガンの粒子線治療のように、現在では設備的(*)に治療可能
人数が限られ、皆保険対象には財政的に高額すぎる高度先進医療は、小児ガン
を健康保険組み入れの優先対象にすべきだと思う。勿論それは経済産業省の
いう「費用対効果」という経済の考え方によるのではなく倫理の問題として
である。

 (*):稼動設備は全国で9箇所(整備中5箇所)、装置の価格は数10億〜
  100数十億円、治療費はおよそ300億円/人、受診患者数(2012年)は
  約2400人/年。なお、TVなどで喧伝される民間医療保険では、1000万円
  までの先進医療費用特約の保険料差額は、年齢に関わらず月額およそ
  200円である(受ける人=受けられる人数が少ないが故であろうか。
  保険会社にとってはおいしい対象だろう)。

<参考>:従来のX線など通常の放射線療法はガン周辺の正常細胞に対しても
 影響を与え、この時に被曝した正常細胞が10年20年と云う時間を経てガンを
 発症する可能性がある(ガン再発の生涯影響は余命年齢の長い若年者ほど
 問題になる)。粒子線はこの周辺細胞への影響が少ないので小児にとって
 生涯安全度が高い。また、一般に小児ガン患者(若い親)の家庭では
 保険がなければ高額なこの治療は経済的にも厳しいだろう。
 なお、費用が数分の1で済む、最近のITを活用して的を絞り込めるように
 した最新の放射線療法装置に対しての優越性の裏づけ(エビデンス)は、
 現在必ずしも明確になっていない。

■問題の概要

安倍首相は、「国民皆保険制度は守る」という自民党の公約を内閣としても
守るというが、米国(外国)は正面から「国民皆保険制度をやめろ」と云って
くるのではない。

TPP交渉対象の21項目(前回記述)には医療分野の記述はない。
しかし、21項目の中にある「金融分野」で医療保険問題(この拡大のために
混合診療の解禁)、「知的財産権」で特許期間の延長(薬価に影響)、
「投資や制度的事項」で株式会社の病院経営、薬価制度の改廃などを、
日本での事業を広げたい保険、製薬企業、病院などの業界や企業が、利益追求に
不都合な規制として米政府(USTR:通商代表部)を通じての撤廃・緩和を
求めてくるのは過去10数年の日米通商交渉の経緯をみれば明らかであろう
(これらのテーマは対象にしないというなら、例えば、米国の保険業界が
黙っているであろうか)。
そして、これらの要求を安易に認めていった場合、数年〜10数年をかけて
日本の国民皆保険制度は形骸化し、結果的に崩壊する可能性が極めて高い
という問題なのだ。

政府は、中身を失った形ばかりの制度をもって「制度を守った」などと
政治的詭弁を弄することにならないよう切腹覚悟で交渉に臨んで欲しいし、
我々は注視しておかなければならない。

この問題の背景として、先ず日本の健康保険制度・医療制度の構造から
考えてみたいと思う。

<参考>:米国在日大使館ホームページには、下記のような記述がある。
 "TPPは日本、またはその他のいかなる国についても、医療保険制度を
 民営化するよう強要するものではありません。TPPはいわゆる
 「混合診療」を含め、公的医療保険制度外の診療を認めるよう求めるもの
 ではありません。"
  http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20120314a.html
  
 上記の文章でわざわざ「強要するものではない」と云う言葉を使っている
 意味を考えてみるべきだろう。 外交問題は「交渉の結果として決まる」
 というのが建前である。「押し付けられた」と日本が思っていることも、
 「交渉の結果、日本が了承した」というのが米国側の言い分だ。

■日本の医療制度・健康保険制度

日本に居住する人は(一定の条件を満たす外国人を含め)全員が何らかの
公的健康保険に加入することになっている。そして、この健康保険証さえ
もっていれば、誰でも、何時でも、全国の(殆ど)全ての医療機関で高い
水準の医療サービスを比較的安く、且つ同じ内容の診療は同じ費用で受ける
ことが出来る。
システム・インフラ輸出の対象にでもすべき日本の誇る制度だ。
なお、医師の技量は価格・費用には反映されないが、患者は医師や医療機関を
自由に選択できる(医師は患者を拒否できない)。

<参考>:診療行為の費用
 費用は個々の診療行為ごとに単価が診療報酬点数(*)として国により
 決められている。但し、医師には、個々の患者の状況に合わせた診断や
 診療の方法の選択など、大幅な裁量が認められている。
 (*):診療報酬点数表  http://shirobon.net/24/

<参考>:諸外国との比較で日本の医療を考えるためのデータ
 ・先進国中で圧倒的に低い日本の医療費(対GDP比)
  http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1890.html
 ・先進国中で高齢化に伴う医療費抑制は日本が一番出来ている
  http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1900.html
 ・平均寿命と医療費・・・医療優等生の日本
  http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1640.html
 ・社会保障給付の国際比較
  http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2798.html
 ・医療の国際比較
  http://www.fukuyama.hiroshima.med.or.jp/iryou/kokusaihikaku.html
  http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/iryouhoken11/dl/02.pdf

憲法第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む
権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び
公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。

日本の皆保険制度に「所得に応じた負担と"平等"な医療」という相互扶助を
理念とし、「専門技術を要する怪我や病気の"治療"は全て健康保険でカバー
してゆきたい」というのが基本的な考え方である。

但し、安全性や有効性の確認できていない診療は対象には当然出来ないし、
美容整形や歯科治療の貴金属の使用などは「健康で文化的な最低限度の生活」
を越える"贅沢"として対象にはしていない。

保険の対象にならない診療を(患者の希望に沿い、或いは了承を得て)医師が
自らの責任で行なう「自由診療」や、医師が研究として行なう診療行為は
禁止されていない。但し、費用は、自由診療では医師の裁量で決まり患者負担、
研究は医療機関・医師の負担となる。

なお、一人の患者の同一疾患の診療に保険診療と自由診療を併用する
混合診療は、原則としては認められていない。
しかし、古くは差額ベッドや歯科治療における貴金属材料使用に始まり、
現在、未承認の抗がん剤の使用など先進分野を中心にかなりのケースが"
例外と云う形で"許可されている。いわば管理された混合診療が実態だ。

<参考>:「保険医は、特殊な療法又は新しい療法等については、厚生労働
 大臣の定めるものの他は行なってはならない」(保険医療機関及び
 保健医療担当規則第18条)。
 また、2011年に最高裁は、制度運用に対する補足意見を付けた上で
 「混合診療の禁止を合法とする」判断を行なっている。

■混合診療とドラッグ・ラグについて

混合診療が問題提起される場合、必ずといっていいほど理由に使われるのが、
「海外で使われている薬が日本では使えない」というドラッグ・ラグ問題だ。

6月7日の日経新聞の社説のなかに以下の文章があった。

"混合医療を認めるのは10年来の政策課題だ。患者が健康保険のきく診療と
自由診療を組み合わせて受けるのを厚生労働省は原則禁じている。
例外として一部の先進医療との併用を認めているが、種類を限定し、
いずれは保健医療にふくめるのを前提にしている。がん治療などの分野では
世界の製薬会社が新薬開発にしのぎを削っている。なかには特定の疾患の
特定の症状にだけ、よくきく高価な薬が出てきた。
このような薬を試したい患者は少なくない。
その切実なねがいにこたえるには、効果と安全性を確認して使えるようにする
のが、患者本位の医療改革ではないか。"
正論のように見えるこの内容にも、実は色々の問題・矛盾を抱えている。

状況は改善されてきてはいるが、相当解決が困難な構造問題も抱えている、
このドラッグ・ラグ問題の背景について考えてみる。

1)効果と安全性の確認

「有効性と安全性を確認して使える薬にする」には臨床試験という人を
対象にその薬を使ってみるしか方法が無い。薬の効果や副作用の発現は
人種・民族によって違いがあるため、基本的には各国で夫々適切な被験者を
集めて試験をする必要がある。

一部に誤解があるようだが、数100億円の費用がかかるこの試験の主体は
製薬会社(或いは大学などの研究者、医師)であって国ではない。
製薬会社がその薬を販売したい国の政府に申請して臨床試験を実施し、
国(日本では厚労省)はその結果の審査を行なうだけなのである。
これが先進国共通の基本ルールである。要は、内外の製薬会社が日本で売る気
がどれだけあるかという問題なのだ。

<参考>:米国の副作用による死亡率は、心臓病、がん、脳卒中に次ぐ死因
 第4位。1994年の場合、重度の副作用を有する入院患者は約220万人、
 副作用による死亡は10万6000人(推計値)。嘗て日本でも話題になった論文。
  http://square.umin.ac.jp/jin/text/shiin.html

2)医薬品の研究開発

医薬品の研究開発は、研究所で展開される前半(5年〜8年)の「研究」過程
(*)で、新しい薬の候補物質を作りだし、薬としての有効性や安全性を
試験管の中や動物実験で確かめてゆく。後半(3年〜7年)の「開発」過程
(*)では、薬事法とGCP(Good Clinical Practice)という科学・倫理の
両面から厳しく定められた規定に従う「治験」と呼ばれる臨床試験が
行なわれる。国の「審査」過程(1〜2年)がその後にくる。

治験の第一段階(フェーズ1)は数10人の健康者を対象に極く小量の薬を
与えるところから安全性の試験が行なわれる。
フェーズ2では数10〜数100人を対象に有効性の確認、
フェーズ3では数100〜1000人越える人を対象に、使用環境に合わせた
有効性・安全性の試験、使用方法〔処方〕の確認が行なわれる。

なお、この試験では対象者の先入観や担当する医師の予断を避けるため、
外見が同じ偽薬を準備し、誰が偽薬を飲んだかは患者や医師にも分らないよう
にして結果の客観性を保つダブルブラインド法に基づく試験と厳密な
データの統計解析が行なわれる。

なお、この「治験」には1品目に数10億〜数100億円の費用が必要になる。
日本の大手製薬会社は売り上げの2割を研究開発に投入している。
これは他の産業に比べて飛びぬけた値だ。

3)ドラッグ・ラグの背景

世界の製薬企業はその殆どがグローバル化している。
世界を市場にしなければ一つの新薬の研究開発に1000億円かかる投資の
回収ができない。世界の市場シェアではアメリカが断トツ1位で約4割を占め、
10年前は2位だった日本は、医療費抑制と経済低迷の中でシェアを2/3に
落として1割強で3位、ほぼ横ばいのEUは日本の1・5倍のシェアを維持して
2位である。
 http://www.jpma.or.jp/about/issue/gratis/guide/guide12/12guide_08.html

つまり、上述のように数100億円かけて治験を行なう製薬会社にとって、
日本の市場は魅力的ではなくなりつつあるのだ。
特に上記の社説にある「・・・特定の疾患の特定の症状にだけ、よく効く
高価な薬・・・」は患者数(=期待売上げ)が少ないから、日本での治験を
する優先度は更に低くなる。

なお、開発力を最近の新薬開発実績から見れば、これもアメリカが5割を占めて
断トツの1位、ついで2割弱のイギリス、1割強の日本が続く。
ドラッグ・ラグの殆どは海外オリジン(海外のメーカーが研究開発)の薬で、
日本オリジンの薬は最近では日本で最初の審査・承認獲得がされており、
ラグの主な原因は海外メーカーの行なう臨床試験の日本国内での着手の遅れ
といわれる。

つまり、ドラッグ・ラグ解消の鍵は海外の製薬会社の販売戦略次第と云う
ことになる。
http://www.lifescience.co.jp/yk/jpt_online/review0906/index_review4.html#top3
 (調査時点はやや古いが、問題の基本構造は現在も変わらない)

<参考>:ラグ解消への改善施策例
 ・厚労省の審査体制の大幅強化。嘗て問題とされた国の審査に時間がかかる
 問題は大きく改善(2006年の14ヶ月から半減。EUなみ)されたが、
 これはドラッグ・ラグ問題の抜本的改善に繋がるものではない(日本の
 製薬会社の国内臨床試験の先行実施には有効であった。1990年代には
 先ず海外で承認をとり、その後国内でというケースが相当あった)。

 ・患者(団体)や研究者からの要望を受けた国内未承認薬について、短期
 (数ヶ月)で結論を出し、メーカーに治験を依頼する、治験(ライセンス
 受託者)を募集するなどの制度(ある程度の実効を挙げているといわれる)。
 この制度はインセンティブとして、特許有効期間は薬価を維持(*)して
 研究開発投資の回収を容易にするという特例制度が用いられている。
 但し、この制度は未承認薬の治験要望対象以外の薬にも適用されるので、
 この制度の維持もまたTPPのテーマ(知的財産権問題)としてアメリカ
 からの要望事項のようだ(治験要望を受けた薬だけが対象なら、企業の論理
 として、メーカーは自発的治験をやめて要望があるまで待つ方向に流れる)。

 (*):薬価(保険適用の価格)は通常2年ごとに医薬卸店から病院・
  クリニック・調剤薬局などへの納入価格の実勢の調査結果などに基づき
  厚生労働省が改定する。改定毎に数%低下する場合が多い。

 ・未承認の薬・機器など用いる先進医療の臨床試験を、研究機関・医師が
 患者の負担で行なえる制度(薬事法やGCPなど厳しいルールに基づかない
 ため、患者の安全・権利の保護、内容の科学的妥当性や、結果の評価・蓄積、
 また安全性に問題のあった場合の対応など、運用・管理などの面で問題を
 残す)。
 等など。

4)各利害関係者の立場

他の政治課題同様、目的として皆が使う「患者本位の医療」という綺麗な言葉
の裏には、色々の利害関係者の欲望や思惑がうごめいている

・民間保険業者

先に述べたように、医療保険事業を拡大したい保険業者は米国・日本を問わず、
医療保険の需要に結びつく自由診療の拡大を求めている。混合診療で保険適用
部分の負担が安くなればとりあえずは自由診療を広めるのには有利に働くが、
彼らにとっては公的保険診療がなくなるのが理想で、混合診療はそこへ向かう
過程に過ぎないと考えているだろう(この方向への要求は永遠に続くだろう)。

・政府・財務省

財政再建を求められる政府は、高齢化、高度先進医療(≒高額化)の普及、
経済低迷による保険料の滞納の増加などの中で、健康保険費の増加を抑えたい
=保険対象を増やしたくない・むしろ減らして自由診療対象を増やしたい。
但し、混合診療を広げると併用される保険適用診療費の増加、また安全性や
有効性に問題のある自由診療の後始末を保険診療でやらざると得なくなる
など却って国の負担が増えるなどの心配もある。

<参考>:健康保険の財政
 日本の健康保険は、50%が公費、残り50%が保険料で賄われる。
 公費の内訳は、国41%、都道府県9%である。高齢化社会が進む中、医療費は
 H1年の19・7兆円からH23年には37・8兆円にまで増加し、経済低迷の中で
 保険料の滞納(滞納率20%)、更に今後の高度先進医療(通常費用も高い)
 の普及に伴う医療費増など健保財政が大きな課題となっている。

・政府・経済産業省

iPS細胞技術などを通じた再生医療、日本が技術的に有利なポジションにある
ガンの粒子線治療設備や医用機器分野を成長分野として推進(*)。
さらに医療ツーリズム(国土交通省が関係)や医療の産業化による経済成長
など、これらの関わる分野で自由診療(混合診療でも可)の拡大を目論む。

 (*):薬事法に基づく医用機器に関する厳しい安全規制は、品質面で
  高い信頼を得る背景であったが、一方で"高い技術を持ちながら事業化で
  遅れをとる"原因とも言われてきた。
  成長戦略の柱の1つとして現在大幅な規制緩和の動きがある。
  やりすぎると日本の特長を失い、逆に競争力を損なう危険もある難しい
  バランス問題だ。

・厚生労働省

上述「日本の医療制度・健康保険制度」で述べたように、基本的には国民皆
保険制度の維持だ。但し、現実問題として条件付き・管理された混合診療を
進めている。しかし安全性・有効性確保と混合診療(自由診療)と皆保険制度
の間には本質的に矛盾や運用上の問題が生じるから中々難しい過程にある。

・医師会≒厚生労働省

上述の「<参考>:諸外国との比較で日本の医療を考えるためのデータ」の
ように、日本の医療費のGDP比率は先進国中でも低いから、もっと医療に
金をかけるべき。

・経済界≒経済産業省

・大学病院・研究機関

限られた枠の研究費の中で行なわれている新しい診療方法や薬の臨床研究・
開発に対して、健康保険でカバーされた分だけ研究費負担が減るので、
混合医療の拡大を求める。

・患者団体

ドラッグ・ラグの解消、先進医薬や医用機器の早期保険適用(混合診療解禁を
求めているわけではない・・・理由は後述)

■医療機関の株式会社化の問題ほか

「医療機関へ株式会社の参入を認めよ」という要求もある(現在、一部の
自由診療にのみ認められている)。紙数がないので詳しい記述は割愛するが、
アメリカの株式会社は株主のもので、株主のために利益を稼ぎだすのが任務で
ある。採算が合わなくなれば簡単に事業撤退も製品の整理もする。
儲けにならない客は切り捨てる。西武鉄道に「球団を売り払え」「不採算路線
を整理しろ」などというアメリカの投資ファンドの方がまともで、公共性の
ため赤字経営を続けるという方がおかしい、というのが彼らの論理だ。

病院にとっては費用を自由に決められる自由診療・混合診療のほうが利益は
大きい。利益に少ない保険診療は徐々に片隅に追いやられ、やがて自由診療を
選べる富裕層のための病院になる。

大規模スーパーが進出して商店街をシャッター街にしたあと、採算が合わなく
なると撤退して、買い物難民をつくりだした構図がオーバーラップして目に浮ぶ。

■混合診療を安易に認めると健康保険制度を崩壊する仕組み

1)下記のように健康保険の財源が無駄に、さらには結果的に国民の健康を
害することに使われてしまう可能性がある。

・世にある自由診療の中には、効果の無いものや有効性について科学的根拠
 (エビデンス)のないもの、安全でないものや安全性の確認がされていない
 ものが数多く存在している。
・また、有効でない診療のために、必要な・適切な診療を受ける機会を逃す
 危険性もある。
・十分な技術や知識を持たない医師が行なっている場合もあり、事故があっても
 これらが表には中々出てこない。状況の把握が出来ないから問題があっても
 行政は容易に介入できない(そもそも自由診療は医師(と患者)が自己責任で
 やっていることだ)。
・被害にあった患者の救済が出来ない。
・得られた知見を広くまた将来に生かすことが出来ない。

2)下記のように、医師や製薬メーカーなどから、新しい診療方法や薬を
保険対象にするインセンティブが失われ、モラル・ハザードの誘引となる。
結果的に時間をかけて健康保険制度が形骸化し、やがて崩壊する。

・混合診療の自由診療部分の費用や薬剤費は医師や製薬メーカーが自由に
 決められる。自由診療で知見を得た医師はそのままのほうが保険対象にする
 より自由、収入も確保し易い。製薬メーカーは(新しい薬の多くには、
 競合品はない)望みの価格で薬が売れるから、治験に手間とコストをかけて
 保険対象薬にするメリットはない(新しいよい薬は保険では使えなくなる)。
・結果的に時間をかけて、公的保険対象部分は縮小するが、自由診療部分は
 拡大してトータルの医療分野は拡大する。国民のトータルの医療費負担は
 増えるから、民間医療保険会社、経済界、経済産業省は大喜び、公的保険
 負担部分が縮小して財務省も大喜び。

<参考>:小泉政権が掲げた「民間で出来ることは民間で」「改革なくして
 成長なし」「聖域なき行政改革」の下、内閣府に設けられた「規制改革・
 民間開放推進会議、議長:宮内オリックス会長、メンバーは経済界、
 経済学者など、医療分野の専門家は入っていない」は、2004年8月の
 中間とりまとめで、医療分野の最初に「混合医療の解禁」を取り上げている。
 この会議資料には"本来目指すべき制度"として、現在より縮小された保険
 医療+(保険診療より大きい)保険外(自由)診療の図がある。

3)医療機関の株式会社化は利益の出る自由診療中心、
この費用の負担の出来る富裕層の為の病院になる。これらの病院の間である程度
の競争原理は働くが、富裕層のために高額で新しい診療を行なう富裕層病院と、
保険で古い診療しか行なえない一般国民のための病院に二極分化してゆく。
結果的に皆保険制度は崩壊する。

■問題の本質―2

1)医療は自由競争でいい問題なのか・患者に診療の評価ができるのか

規制緩和・自由化を叫ぶ人たちは、「患者には多様な診療が選べるべき」
「診療行為は医師と患者の自由な契約」「医師間の競争によって不適格な
診療を行なう医師は淘汰されるから問題はない」・・・などと云う。
しかし、医師と患者の間の知識・経験・情報の格差はきわめて大きい
(インターネット検索で得られる知識で分ったつもりになどなるべきでない)。

また、治療の結果がどのような経過を辿って、快癒と不幸な結果の間のどこに
落ち着くかは誰にも前もっては分らない問題だ。患者からみて医師の行なう
自由診療の診療行為の正当な評価はまず出来ないだろう。
つまりは医師が淘汰される前に患者が淘汰(命を失う)されてしまう可能性の
あるやり直しの効かない問題なのだ。

ある程度の評価は消費者にも出来るし、ダメなら買い替えれば済む自動車や
家電とは違う。専門性の高い問題は事前に専門家が評価して、その上で
消費者に提供されるべきだと思う。

2)自由競争には厳格なルール、監視体制が必要

自由化には、それに見合った十分な監視体制、厳しい罰則が必要だ。
性善説の日本の法律や非力な監視体制、違反者への軽い罰則では対応できない。
多くの分野でアメリカ政府の監視機関の体制は質量共に日本の比ではないし、
ルール破りへの罰は極めておもい。

例えば、近年、日本の金融経済分野のルールの自由化はアメリカに遜色ない
ほどに大変進んだ。しかし、金融庁の1部門に過ぎない日本の証券取引等
監視委員会は、名称は委員会だが独立性は持っていないし、ルールを制定する
権限もない。米国のSEC(Securities and Exchange Commission)に比べて、
人数的にも権限面でも非力である。また禁固150年などといった罰が
言い渡されるアメリカに比べて、禁固1年執行猶予3年程度の刑では
抑止効果はないだろう。日本は「やりたい放題の天国」という話もある。

医療行政においてもアメリカのFDA(Food and Drug Administration)に
比べ、厚生労働省・医薬食品局の体制は量・機能的にも非力だ。

あるいは、2000人を越える専門要員を抱える米国のNRC(Nuclear
Regulatory Commission)に対し、今年発足した日本の原子力規制委員会は
400人、専門性についても原発メーカーや電力会社を監督できるのかと
疑問の声がある。

<参考>:米証券取引委員会(SEC)は、シカゴ・オプション取引所を
 運営するCBOEホールディングスに600万ドル(約5億7400万円)の罰金を
 科した。SECが空売り濫用とみている取引に対しての監視について
 "規制及び規則遵守に落ち度があった"と判断したためだ。

本当にアメリカのような自由化がよいと考えるなら、
明治維新でヨーロッパの大陸の国に倣って取り入れた法体系、官僚組織、
日本の昔からの価値観にまで遡って見直しが必要だろうとおもう。

建国来のアメリカの歴史を追い、彼らの価値観の形成過程を追い、銃の乱射で
学童に多数の死傷者が出ても、銃の規制より「校長室にライフルを置け」
「自らの安全は自分で守れ」という意見が多数を占める社会を理解すること
から始めるべきだろう。

アメリカの保険は「自分を自分で守るため」という考え方、
日本の保険は「誰に何時ふりかかるか分からない災難にたいして、
皆で助け合おう」いう互助会的考え方のように感じる。

「経済第一で物事を判断すると、日本は途を誤る」。
                               以上

★読んでいただいた方に:

問題点、誤りなど、お気づきの点などありましたら、ご一報ください。

この問題を詳しく知りたい方へのお勧め資料:
適当なものを中々見つけられないでいるのですが・・・
1)出河雅彦「混合診療」医薬経済社 著者は朝日新聞編集委員、科学部で
  健康・介護問題を長年担当。著者は混合診療には慎重な立場であるが、
  イデオロギーに基づくのではなく、過去からの経緯が具体的・客観的に
  記述されている。但し、必ずしも読みやすい書物ではない。
  9ページある「はじめに」と11ページある「おわりに」だけをお読み
  いただくだけでも、この問題の理解はかなり出来ると思う。
2)岩瀬大輔「がん保険のカラクリ」文春新書、著者はネット生保の経営者。
  先進医療の中核テーマの1つでもある"がん"の保険から、医療問題を
  理解する<参考>資料として。

・外務省:環太平洋パートナーシップ(TPP)協定交渉
 ==> http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/tpp/
・TPP交渉への早期参加を求める国民会議
  ==> http://tpp-kokumin.jp/

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       http://www.tru-solutions.jp/tru-199.htm
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